なぜ「攻撃」という言葉に違和感があるのか
ランサムウェア被害が発生すると、メディアも企業も「サイバー攻撃を受けた」と報じます。
しかし、この表現は本当に正確でしょうか。
**攻撃という言葉は、外部から一方的に仕掛けられる行為を連想させます。**まるで防ぎようのない災害のように聞こえます。
ところが実態は大きく異なります。
感染は誰が引き起こしているのか
ランサムウェアの感染経路を冷静に見てみましょう。
- 社員が不審なメールの添付ファイルを開く
- 怪しいリンクをクリックする
- 脆弱なパスワードを使い続ける
- セキュリティ警告を無視してソフトウェアを実行する
感染の引き金を引いているのは、組織内部の人間です。
犯罪者はあくまで罠を仕掛けているだけ。その罠に引っかかるかどうかは、組織側の判断と行動で決まります。
「攻撃」という分析がもたらす弊害
外部からの攻撃として扱うことで、何が起きるでしょうか。
責任の所在が曖昧になります。「防ぎようがなかった」という言い訳が通用してしまいます。
内部の管理体制や教育の不備が見過ごされがちです。技術的な防御システムの導入だけで満足してしまいます。
しかし現実には、最新のセキュリティソフトを導入しても、社員が安易にファイルを開けば感染します。
視点を変える―「防御の失敗」として捉える
ランサムウェア被害は防御の失敗として分析すべきです。
この視点に立つと、対策の焦点が変わります。
- 社員教育の質と頻度は十分か
- アクセス権限の管理は適切か
- 異常な動きを検知する監視体制はあるか
- インシデント発生時の対応手順は整備されているか
外部の脅威ではなく、内部の脆弱性に目を向けることになります。
効果的な対策への転換
防御の失敗という認識に立てば、対策は明確です。
継続的な社員教育を実施する。模擬フィッシングメールで定期的に意識を高める。多要素認証を徹底する。重要データへのアクセスを最小限に制限する。
これらは全て、組織内部でコントロール可能な要素です。
外部の攻撃者の動きは予測できませんが、自組織の防御体制は設計できます。
言葉が思考を変え、対策を変える
「攻撃を受けた」ではなく「防御に失敗した」。
この言葉の違いは小さく見えて、組織の姿勢を根本から変えます。
被害者意識から当事者意識へ。 外部要因への注目から内部改善への注目へ。
ランサムウェアは防げない災害ではありません。適切な準備と継続的な改善によって、そのリスクは大幅に減らせます。
問題は外にあるのではなく、内にある。この認識こそが、真のセキュリティ対策の第一歩です。